私たち一般社団法人福岡デンマーク協会のホームページにアクセスして頂きありがとうございます。
私は当法人の理事長の長阿彌幹生(ちょうあみみきお)です。
日常の暮らしや活動の中でデンマーク的視点からみた自分なりの気づきや感想などをご紹介し、皆様の暮らしや仕事に何かの参考にして頂ければと思っています。デンマークとは関係の無いようなエッセイもあるやもしれませんが、それも幸福という普遍的なテーマとして繋がっているものですので、拙文ですがお付き合いください。感想等頂ければ幸いです。また、私どものイベント等でもこのエッセイを種にして、お話が出来ることを楽しみにしています。
福岡デンマーク協会 理事長 長阿彌幹生
理事長エッセイ(19)
幸せとは何か?
幸せは普遍的な概念?
「幸せ」は普遍的な概念なのかどうかを今回は検証していきます。
結果、世界のそれぞれの国や地域で「幸せ」については明らかなズレがあることが分かります。
また、「幸福とは何でしょう?」という問いは、「幸福の要因は何でしょう?」という問いと混同されています。「人の数だけ幸福の定義がある」という言葉は「人の数だけ幸福をもたらす要因がある」という混同です。しかし、どういう人が幸福になるかはかなりの規則性がみられるのです。
究極の幸せ
キリスト教の幸福理解がヨーロッパに広まり、現世での快楽や悪徳を避けることで、人はあの世で幸せになれることになりました。こうしてキリスト教は幸福を究極的に先延ばしすることで、究極的な快楽という報酬を得られる仕組みを手に入れたのです。この幸福理解が疑問視されるには1000年近い月日が必要でした。
現世での喜びが市民権を得るのに寄与した神学者の一人が、ドイツの神学者マルティン・ルターです。彼はカトリック教会改革の中心人物で、プロテスタントの父でもありました。宗教改革とそれ以降の啓蒙時代の思想により、あの世での幸福ではなく、現世での幸福が注目されるようになります。
自分自身の幸福を創造する
18世紀末の哲学者ジェレミー・ベンサムは、最大多数の最大幸福を実現することを良しとしました。同時に、ある行動が良いか良くないかを導き出すための幸福の公式をつくり出そうとしました。
また、英国による植民地支配からの解放を表明した「アメリカ独立宣言」は1776年に採択。これにより、幸福は神が定める死後のものから、私たちがこの世で追い求めるだけでなく、追い求める「権利」のあるものへと変わったのです。幸運または幸福を追求する機会を得るのは人権の一つとなりました。
ポジティブ心理学
かつて幸福を分析したのは、主に哲学者と神学者でした。ところが最近では、今日、深い問いを立てる心理学者や社会学者、経済学者が台頭しています。
ペンシルベニア大学のマーティン・セリングマンがアメリカ心理学会長に就任し、心理学の原点(「人生を良くすること」に焦点を当てること)に立ち還るように助言しました。
セリングマンの呼びかけは、苦しみを取り除くことばかりを追求するのではなく、どうしたら幸福な人生を得られるか探究しましょうというものでした。こうしてセリングマンは人間の喜びやウエルビーング(健康で安心なこと)、幸福を産み出すものは何かを理解しようとするポジティブ心理学の先駆者となりました。
幸福は道に立てられた広告看板
広告が発信するあらゆるメッセージの核は、単純に言うなら、「より良い生活を約束します」ということです。つまり、「幸福にします」という約束です。
「広告に含まれていなければならない要素が一つある。それは幸福だ。幸福って何か知ってるか?幸福は新車の匂いだ。幸福とは恐怖からの解放。幸福とはあんたが何をしようと、大丈夫、と言ってくれる路上看板さ」(アメリカのテレビシリーズでのセリフを引用)。