私たち一般社団法人福岡デンマーク協会のホームページにアクセスして頂きありがとうございます。
私は当法人の理事長の長阿彌幹生(ちょうあみみきお)です。
日常の暮らしや活動の中でデンマーク的視点からみた自分なりの気づきや感想などをご紹介し、皆様の暮らしや仕事に何かの参考にして頂ければと思っています。デンマークとは関係の無いようなエッセイもあるやもしれませんが、それも幸福という普遍的なテーマとして繋がっているものですので、拙文ですがお付き合いください。感想等頂ければ幸いです。また、私どものイベント等でもこのエッセイを種にして、お話しが出来ることを楽しみにしています。


 

理事長エッセイ(1)

創造的“妥協”という視点。


夏目漱石の草枕の冒頭に「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。」とある。他人との関係の難しさの一面を語っている。何かを他人と行おうとするときに、自分の考えが他と一致していれば事はスムーズに進むが、違っている場合に、或いは途中で違ってきた場合にどう話し合うかはなかなか難しい。

 日本では民主主義=多数決と学校で教えられるので、結局多数派の意見が“公意”になり、個人や少数派の意見が軽視や無視されても、仕方のないものとする傾向がある。そのために対立や反目は日常的に生じている。

 民主主義とは人間の歴史の中から幾多の争いや戦いの結果、ようやく見出された意思の疎通についての考え方であり、話し合いに臨む姿勢のことだ。対立や反目を無くして、みんなが幸せに仲良く生きる社会を実現するために、とことん話し合おうとする決意と覚悟がそこに在る。

 現実的には、自分と他者の意見が違っている場合に同じにするのはなかなか難しい。もともと自分と他者とは違う人間で、生い立ちも人生経験も考え方も違っているのが当たり前。ではどうしたら個人の考え(私意)が尊重されつつ、他の考えと融合させて、“公意”が形成できるのだろうか。

 私は“妥協”することが必要だと思っている。“妥協”とは、本来「対立した事柄について、譲り合って一致点を見出し、穏やかに解決すること。」という意味だ。これは人間の知恵の一つ。よく言われる「妥協の余地がない」というのは、“余地”を見出せるまで話し合わなかったときに使う言葉ではないかと思う。

 世の中が「右か左か」、「善か悪か」のような極端な考え方になりつつある現在、もっと時間をかけて、様々な違った意志や考えを反映できる妥協点を見出していくことが、大切なのではないだろうか。みんなが良くなるために、“妥協”をより創造的に用いることで、争いの無い、親愛の情に充ちた世界が生まれるように思えるのだが、どうだろうか。