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私は当法人の理事長の長阿彌幹生(ちょうあみみきお)です。
日常の暮らしや活動の中でデンマーク的視点からみた自分なりの気づきや感想などをご紹介し、皆様の暮らしや仕事に何かの参考にして頂ければと思っています。デンマークとは関係の無いようなエッセイもあるやもしれませんが、それも幸福という普遍的なテーマとして繋がっているものですので、拙文ですがお付き合いください。感想等頂ければ幸いです。また、私どものイベント等でもこのエッセイを種にして、お話しが出来ることを楽しみにしています。

福岡デンマーク協会 理事長 長阿彌幹生


理事長エッセイ(13)

「勉強」から「学問」へ


勉強がつまらないと感じた学生時代
 中学や高校時代に「どうして“勉強”ってつまらないのだろう」と思っていました。しかし、友人たちは、旺文社の“赤豆”という英単語帳に代表される入試用の教材を必死になって丸暗記していました。私にはとても真似が出来ませんでした。 もともと暗記が苦手だったのかと言うとそうでもなく、小学校4年生の時には世界中の山や川などをその高さや長さやその順番まで覚えていました。先生から頼まれてその知識を授業で披露したこともあるくらいです。
 何が違っていたのでしょうか。
 小学校の地理については宿題やテストではなく、知らない世界への興味から、誰から言われるのではなく、自ら進んで学んでいました。地図上のヒマラヤ山脈を表す濃い茶色を見ると、そこに高い山が盛り上がっているように思えました。日本海溝の濃いブルーには底知れない深さを感じ、平らな地図が凹凸のあるものに見えていたのです。

何が自分の目的なのか? 
 ところが、受験勉強になったとたんに、私の興味や関心は薄れてしまいました。目的が受験、つまり試験で何点とれるかになり、知的好奇心の世界ではなくなってしまったからです。それでも勉強していたのは、将来のことを親や教師から「高校くらい出ておかないと」「大学くらいは・・・。」などなど。しかし、それが私には目的とは思えませんでした。 そんな風だったので、高校は好きな読書以外はろくに勉強もしないで卒業しました。
 幸運だったのは先輩に勧められて入った大学で、社会をもっと良いものにしていこうとして活動している先輩や友人に出会ったことです。学生の出来ることは知れていますが、本当に住みよい社会とはどういうものなのか、その社会に自分はどう関わっていこうとするのかを考えることは、とても楽しかったです。

もっと学びたいという思いを手に入れた!
 以降、どんな仕事をしたい、どんな会社に入りたい、いくら稼ぎたいなど具体的なものではなく、世界と自分との関係を検べ、深めていくことに夢中になりました。
 小学校時代のあの感覚が蘇りました。おかげで大学4年間は幅広く世界のいろいろなことを学ぶことができたと思います。学べば学ぶほど、自分の知らなさ、至らなさを実感し、もっともっと学びたいという意欲にかられました。その情熱は還暦を過ぎた今も、私の中で燃えていて、生きるエネルギーになっています。

自らが学び問う姿勢を子どもたちへ! 
 私たち親や大人は子どもたちに「勉強(勉めることを強いる)」のではなく、「学問する(自らが学び問う)」姿勢を子どもたちに伝えていくことが必要ではないでしょうか。知らないものを知る「わくわく感」を伝えられればと思います。大人たちが、目を輝かせて、自分の面白く感じている世界を「学ぶ」姿は、子どもにとって大きな刺激になるでしょう。そんなに面白いものならば、教えて欲しい、もっと知りたい。そうして、子どもたちは自らで「学び」のスイッチを入れていくことでしょう。
 そう思うと、改めて私たち大人の生き方が問われているのではないでしょうか。現実に妥協し、学ぶことを忘れ、その楽しみを諦め、目先の利益だけしか眼中にない、刹那的な生き方になっていないでしょうか。拝金主義、学歴主義、競争主義という利己的な固定観念で子どもたちを縛っていないでしょうか。

 デンマークの学校基本法に「学校の役割は子どもたちに困難な未来を切り拓くための楽観的展望を与えること」という条文がありますが、この条文は学校だけの役割ではなく、私たち親や大人たちの役割でもあるのではないでしょうか。私たちの生き方でそのことを伝えていければと思います。