会員リレーエッセイ「私の見たデンマーク」[2]

“幸福度世界一”って本当だった!
保育ママと森の幼稚園から

重松 勲


惹きつけられた、北欧デンマーク

どうしてデンマークなのか?説明をしたい。
2010年の夏北欧4か国を巡るツアーに参加した。フィンランドから入ってスウェーデンに行き、ノルウェーの雄大な自然を眺めてデンマークに入った。
帰路、南欧とは異なる印象が残った。街の佇まいではない。出会った人たちの雰囲気にあるように思えた。私は南欧の、特にイタリアの人たちの陽気さとそしてパスタ料理が好きだ。古代ローマの遺跡が目を引くし、鮮やかな日差しが風景を美しく彩るので写真を撮るのも楽しみである。
しかし北欧では、「人間」に惹きつけられた。
街を行く人々やバスの運転手、レストランで見かけた人たち。皆優しい感じで、とても静かなのだ。その穏やかな、落ち着いた表情を見て直感した。それは彼らの知的レベルの高さだった。人間は教育によって作られる。
北欧ではどんな教育が行われているのだろうか? 
当時、高校の教員だった私は、自分が行ってきた教育を振り返ってみたいと考えていた。


徐々に教育に触れるうちに…

帰国後書店に行き、北欧教育の概説書が並ぶ棚から『デンマークの教育に学ぶ』という本を見つけた。子どもたちの明るい笑顔の写真がたくさん載っていて、教育現場の雰囲気が直に伝わってくる。
表紙に「生きていることが楽しい」とある。ページをめくると「子どもへの暴力ゼロ」などと書かれていて、平易な説明が印象に残る本だった。しかし教育のシステムや指導目標が日本とは違うために、当時の自分にとっては別世界の話としか思えなかった。
「対話と教育で築く 幸福度世界一の国」とある。えっ、幸福?幸福度世界一って何のこと? 実感が伴わないためか、このサブタイトルも単なる標語のようにしか思えなかった。
幼児教育の「保育ママ」や「森の幼稚園」も、視ることが先だと思っていたので下調べもしていなかった。そのため“保育ママ”についても、お母さんたちが認可を得て、自宅で近所の幼児を自分の子どもと一緒に保育しているところという程度の認識しかなかった。
保育ママたちから直に保育の留意点を聞いた時も、単なる教育方針を説明しているのだろうと考えていた。簡潔にまとめると、日本の幼児教育とさほど変わらない気がした。「社会性を促し、自分を言葉で表現できるようにし、想像と創造力を身につけさせる」ということである。

後年、デンマークの教育は「共に生きるために平等な社会を築き、個人の自由を尊重できる人間を育てること」を目標にしていることを知った。国家が民主主義という明確な理想を持ち、幼児の頃からそれを実現するための人づくりが行われている。そこに気づいた時、日本との隔たりを強く感じて、私は驚きの気持ちを抑えられなかった。隣国ドイツ、ナチズムの全体主義に苦しめられた歴史。その辛い体験が、デンマークの民主主義実現への歩みを強固なものにしているのだ。

デンマークの教育
自宅で子どもを預かる保育ママの仕組みがある

対話を大切にする教育

幾度となく、私はデンマークの研修旅行に参加するようになった。
11月下旬、雨の中を私たち研修者は傘を差して森の園舎に向かった。
子どもたちはフード付きのカッパを着ていた。森の幼稚園では、冷たい雨の降る日でも森へ出かけて行く。
濡れた落ち葉を踏み締めて歩いている時だった。突然一人の園児が横の園児の胸ぐらを掴んで引き倒した。すぐに落ち葉の上で取っ組み合いになった。
周囲にいる大人を全く気にしていない。
日本では必ず先生が引き離しにかかる。しかし、側にいるペタゴー(民主主義教育指導員)は止めようとはしない。やがて園児二人は動きをやめ、笑って互いに離れた。ペタゴーの説明では「子どもの頃はケンカは当たり前。二人の問題は二人で解決するようにしている」とのことだった。
ただし解決できない場合は双方の話に耳を傾けてサポートする。
「どうして喧嘩になったの?」とたずねれば、子どもらは互いの言葉に耳を澄まし、自分の気持ちを説明する。対話という行為を通して他者の存在を認め、やがて尊重する気持ちが芽生えてくるのだ。
ペタゴーの言葉からは「生きる上での貴重な体験が得られる、この絶好の機会を逃したくない」という気持ちも同時に感じ取ることができた。

「対話を大切にする」デンマークでは幼児教育において「文字の習得」よりも「コミュニケーション」を優先させる。
近代デンマーク精神の父とも言われ尊敬されているグルントヴィは、生活の中で用いられる音声言語を「生きた言葉」と表現し、「音声」からうかがえる感情や考えを読み取り、相手の立場を想像しつつ理解することが大切だと述べている。デンマークの近代は、この思想家らによって形成された。
私たち日本人は、文字言語の習得を難しいがゆえに大切だと考える。しかし「対話」という、民主主義実現の大切なツールに関してはあまり関心を示すことは少ない。私たちは「聞くこと」と「話すこと」が果たしている役割を再認識することで、人間関係を豊かにしていくべきだと思う。

デンマークの教育
取っ組み合いになる二人
デンマークの教育
満面の笑みで仲直り!

共に生きる、保育を行う

朝の集合時間、皆で歌を歌う。ペタゴーも一緒に歌っている。共に歌うことによって他者への愛が生まれる。終了後、各自の行動は自由になる。自分たちでやりたいことを探して、森に流れる時間と空気を満喫する。遊び道具も自分たちで作る。森だから様々な材料が手に入る。また園舎では、園児が他の子どもたちのためにリンゴの皮をむいている。ナイフの動きは軽快だ。日本なら危険だからという理由で禁止するに違いない。しかしここでは親も園の運営に関わっており、保育士やペタゴーたちに深い信頼を寄せている。保育士たちも園児を信頼しているので、危険だと判断した時以外その行動を縛ることはない。自発的に行動できるよう側でサポートする。だから一緒にリンゴの皮をむく。幼児の時から「共に生きる」という保育が実施されている。
人間だけではない。森という自然との共生も大切だと考えられている。

日本では自主性を育てるには「誉(ほ)める」ことが大切だとよく言われる。しかし、デンマークでは誉めない。大人の価値観を子どもに押しつけることになるからだ。
また、子どもが悲しいという感情を抱いている時も無理に元気づけたりはしないし、森に行きたくないと言う時はその気持ちを大切にして、森の入口の園舎に残す。幼児とは考えず、一人の人間として、「個人」として尊重されていることが分かる。感情に寄り添いつつ、自分で自由な生き方ができるように支援する。人格が尊重されることで自立心や自己肯定感、そして他者を尊重する気持ちが芽生えるという説明を保育士から聞いた。ここでも保育が民主的な社会を築くために行われていることに気づく。同時にデンマークの人たちの「人間の一生を見つめる眼」にも感心させられる。その視線は深く、そして遠くにまで届いているのだ。

デンマークの教育
ナイフも上手に使ってリンゴの皮むき
デンマークの教育
メルヘンなたたずまい、森の幼稚園

何気ない・・・、だけど違うんだ!

羽田空港の到着ロビー。突然、幼児の泣き声が響き渡る。
その時私はハッとして気が付いた。
デンマークでは子どもの泣き声を耳にしなかったことに・・・!
何度も訪れたデンマークだが、保育ママや森の幼稚園で泣き声を聞いたり、駄々をこねたりする子どもを見たことがない。子どもたちと一緒に火を囲んでいる時も、眠そうな子はいても、私たち大人の会話をさえぎる子は一人もいなかった。皆、素直ないい子ばかりである。一度だけ大きな犬に近寄られて泣き出した子がいた。しかし、これは仕方のないことだろう。

後年、福岡デンマーク協会で講演してもらったデンマーク人に尋ねた。どうしてデンマークの子どもは泣かないのかと。彼女は、当然のことのように言った。
「親が安らかな気持ちでいれば、子どもは泣かないものよ」と。
子どもも親も安らかに、そして安心して暮らせる国。
“幸福度世界一”って、本当だったんだ!


<筆者紹介>
重松 勲 Shigematsu Isao
福岡大学附属大濠中学校・高校 国語科 教諭を経て、
福岡県糟屋郡新宮町の自治的活動の推進を図る 

デンマークについて学ぶということは、私にとって、自国である日本を知ることだと、常々、感じている。より深くデンマークの歴史や現在の社会の仕組みを知ると、こんなにも違うのかと、日本社会がより見えてくる。この発見の積み重ねが、まちづくりや活動、思考のエネルギーとなり、原点となっている。