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私は当法人の理事長の長阿彌幹生(ちょうあみみきお)です。
日常の暮らしや活動の中でデンマーク的視点からみた自分なりの気づきや感想などをご紹介し、皆様の暮らしや仕事に何かの参考にして頂ければと思っています。デンマークとは関係の無いようなエッセイもあるやもしれませんが、それも幸福という普遍的なテーマとして繋がっているものですので、拙文ですがお付き合いください。感想等頂ければ幸いです。また、私どものイベント等でもこのエッセイを種にして、お話が出来ることを楽しみにしています。

福岡デンマーク協会 理事長 長阿彌幹生


理事長エッセイ(20)

政治の羅針盤としての「幸福」 (1)

国民総幸福量を施策に掲げる国 

「私たちには持続可能な開発の3つの柱の平等性を重視した新しい経済パラダイムが必要です。社会的幸福と経済的幸福、環境的幸福の3つを切り離して考えることはできません。それら3つが合わさって、初めて総幸福量を定義できるのです」。

 この言葉は前国連事務総長の潘基文(パンギブン)によって2012年4月に行われた「幸福と福祉―新しい経済パラダイム*を定義する」という国連会議で発表されました。
 この会議で世界の全般的な幸福状態を示す最初の世界幸福度調査(World Happiness Report)が発表され、政府が国民の幸福をどうしたら高められるのか、様々な提案がなされました。

 国連の要請を受け、コロンビア大学の地球研究所により作られた報告書には、数多くの国際的な幸福度調査が集録されていました。その報告書で特筆すべきなのは、政権側が国民の幸福度を高めることは可能だと結論づけている点です。政府は国民総所得を増やす政策と同じくらい、国民幸福度を上げる政策に大きな意義があると断言しています。
 2011年に国連で、幸福を求め努力することが人類の基本目標であるべきだと言う決議が満場一致で採択され、その結果、政治的、学問的、社会的に、幸福に重点を置く方向へシフトチェンジしていく兆しがあります。今日の研究者や政策決定者は、どうしたら住民が幸福な人生を送れる最良の枠組を作れるか知ろうとしています。

 人口80万人のヒマラヤ東部の小国ブータンの憲法には、幸福は国家目標だと書かれていますし、この国の発展の公式目標とされています。国民総幸福量(Gross National Happiness)をもとに進歩を測っているのです。1970年代以降、ずっとこれに取り組んできました。ブータンの国民総幸福量委員会は最大の公共機関の一つであり、委員会は、物質的価値と精神的価値のバランスのとれた「包括的で持続可能な」な世界観を出発点とする指標で、幸福モデルを発展させてきました。
 このモデルではブータンの人々が幸福度を高めるうえで重視すべきだと考えられる9つの分野(メンタルヘルス、健康、教育、文化保全、時間を有意義に使えているか、良い自治・政治、コミュニティ開発、生物多様性、生活水準の高さ)がカバーされています。コミュニティプロジェクトは全て、国民総幸福量の増加にどれだけ貢献したかをもとに評価されます。つまり、政治家は決定を下す際、経済的成果だけを評価するのではなく、例えば地域社会の発展や公衆衛生、文化保全の面での結果も加味します。

※パラダイム(paradigm):ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み

ケネディが語ったGDPの真実 

 ロバート・ケネディ(ジョン・Fケネディ米大統領の弟で上院議員、大統領選挙の最中に1968年に暗殺される)は1968年カンザス大学の演説で次のように述べました。

 私たちはもうずっと前から、個人の優秀さや共同体の価値を、単なるモノの量で測るようになってしまった。この国のGDPは、8000億ドルを越えた。しかし、もしGDPでアメリカ合衆国の価値を測るのなら、GDPには、大気汚染や、たばこの広告や、交通事故で出動する救急車も含まれている。
 GDPには、ナパーム弾や核弾頭、街でおきた暴動を鎮圧するための、武装した警察の車両も含まれている。GDPには、玄関の特殊な鍵、囚人をかこう牢屋、森林の破壊、都市の無秩序な拡大による大自然の喪失も含まれている。GDPには、ライフルやナイフ、子どもにおもちゃを売るために暴力を美化するテレビ番組も含まれている。
 一方、GDPには、子どもたちの健康や教育の質、遊ぶ喜びは入っていない。GDPには、詩の美しさや夫婦の絆の強さ、公の議論の知性や、公務員の高潔さは入っていない。GDPには、私たちの機転や勇気も、知恵や学びも、思いやりや国への献身も、入っていない。
 つまり、GDPは、私たちの人生を意味あるものにしてくれるものを、何も測ることはできないのだ。GDPは、私たちがアメリカ人であることを誇りに思えることについて、いっさい教えてくれないのだ。もしそれが、この国において真実であるなら、世界中のどの国でもやはり真実だろう。

~次回に続く~ 

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